56カ国目




 海外旅行周遊・
 世界一周旅行ガイド

■ヨーロッパの交通
●鉄道
ユーレイルグローバルパス
ユーレイルセレクトパス
ユーレイルパス比較分析
国鉄の調べ方(購入)
●バス
ユーロライン国際バスとパス
●航空券
格安航空券
世界一周航空券
■海外の宿(安宿)
海外のホテル(安宿など)
ホステル予約方法
各地の日本人宿
■オススメ情報
海外の文字化けCP攻略
写真のデータを復活
世界遺産ランキング
世界遺産トップ10紹介
世界のお祭り
海外旅行保険無料クレジット
■旅行準備
周遊プラン作成
各種手続き(準備)
お金の準備あれこれ
外国人が喜ぶお土産
海外で役立つアイテム
持ち物チェックリスト

チリ/イースター島


イースター島上陸
ハワイアンのようなミサに参加
イースター島一周
  この旅のメインでもあるイースター島(パスクア島/ラパ・ヌイ) 
 


■チリ |とんだハプニングも奇跡的に無事に飛ぶ (3/19)

前日の夜21時を過ぎてサンチアゴ入り。
アルゼンチンのプエルト・イグアスから丸2日かかけてバス移動してチリの首都まで戻ってきた。
明日の始発で空港に行かねばならないのにもうほとんど時間が無い。
イースター島は島価格で物価が高いらしいのでバスセンター近くの大きなスーパーで買出し。
ワイン3本とカップ麺、パスタ、野菜やベーコンなどを購入すると22時半になってしまっていた。今から宿に向かってもほとんど寝れないだろうからバスセンターで野宿することにした。
ネットカフェで1時間時間を潰し、飯を食い0時から5時までバスセンターで待機。夏なのに冷える。長袖を着込む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝になり始発の空港行きのバスに乗る。

空港まで40分ほどらしい。

全く寝ていなかったので途中でうとうとしてしまい振り返ると

乗客が誰もいない

到着間際で寝てしまったようで、サンチアゴのバスセンターに戻っているところらしい。

運転手に事情を話すと一旦バスセンターに戻ってまた空港に行こうとのことだ。

ただ問題発生!

預けていた大きな荷物は既に空港で降ろしてしまっているのでこのバスには無いらしいのだ。
バスの降車場に置き去りになっているらしく、ラララ無人クンなのだ。
分散させた現金がいくつか向こうにある。っていうか今回に限り多めに入れてしまっている。
焦ったが寝入ってしまった自分が悪い。
バスの運ちゃんは英語が余り得意でないがコチラの要望をしっかり聞いてくれ携帯で色々対応してくれた。
一旦はバスセンターに戻ったがほぼ客も乗せずに空港に戻ってくる事務所のスタッフに引き継いでくれた。
バッグは事務所で保管してくれていて奇跡的に助かった。
南米においてこれは奇跡としか言いようが無い。
フライトの締め切りまで10分も無く猛ダッシュで向かう。


チリ地震の影響で空港の施設が使えなく、空港前の仮設テントでチエックイン。
なんとも痛々しい。
よく映画であるようなウィルス感
染になったときに仮設テントが
設営されているシーンを見る
が、まさにあんな感じなのだ。

ゲートに行くときはターミナルの2階を使ったが天井の壁が落ちたりと地震の傷跡が残り、1ヶ月経った今もまだ復旧できていない。

朝陽がまだ上がりきっていない早朝に歩いてランチリに乗り込む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ついにイースター島に上陸


念願のイースター島に着陸。
チリ領とは言えフライトで5時間以上も飛ぶので日本からハワイに行くようなものなのだ。
島に着いたら南米と言うよりは
ハワイやバリ島、沖縄などの島
に来た雰囲気に似ている。
南国の島って感じだ。

予約していたゲストハウスのスタッフが出迎えてくれて赤い花のレイをかけてもらう。スタッフが男性なのでなんだか余計に照れくさい。

後で分かったが空港から宿は歩いても行ける距離だった。

出来たばっかりの日本人宿でまだ知らない人も多いようだが、結構満室になっていることが多く賑わっている。俺はこの宿のお客第1号らしいやっさんにサンパウロで教えてもらったのだ。

早速島を歩いて回る、

海沿いに行けばモアイが所々にある。

子供の頃に夢見たモアイ像だ。

世界的には余り知られていないことも多いが、日本人には不思議と知られている。伝説のゲーム『グラディウス』でも有名になったので男子は知っている人も多いのだ。

残念ながらこの島のモアイは口から丸いビーム光線は吐き出さないが、不思議なオーラを放つパワースポットだ。


時代によってデザインの違うモアイが作られたそうで、シンプルなものから目のあるもの、帽子の被ったものなど色々アル。

島民を災いから守るため全てのモアイは海を背に島の中心を向いていたそうだ。
島民同士の争いで島のモアイは全てうつぶせに倒されていたそうだ。当時はモアイの目に力が宿ると信じられていたのでうつ伏せに倒されたのだ。
戦争で島民が減り、その後、疫病でさら減った悲しい歴史がある。
この歴史も含め謎の多い神秘的な島なのだ。
ともかく今日は夢が叶った記念日だ。


■チリ | イースター島でのんびり過ごす日曜日 (3/20)

本日は日曜日。
キリスト教ではないがミサに参加。



木造の像がこの島らしくて良い



神父からの教えがあり、その後なんだか良く分からないが丸いウエハースのようなものを口に入れてもらう。
良く分からんが俺も列に並び同じように口に入れてもらう。
ミサの最後に楽器を演奏して
皆で歌うのが凄く良かった。
まったりしたメロディで完全にハ
ワインアンだ。アロハって言葉も
でるので文化的にも同じルー
ツなんだろうな。

諸外国のミサとは大きく違っていたので参加してよかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空港にミッチイ&ジュンコさんを迎えに行く。

この世界一周中のカップルとは世界のアチコチで出会っている不思議な縁があるのだ。

最初はイスタンブール(トルコ)でバスセンターに向かうバンの中で出会ったのだ、

その後、ギザ(エジプト)、マドリッド(スペイン)、クスコ(ペルー)で偶然の再会。どれもこんなところで?しかも、このタイミングで?って感じなの運命的な出会いだったのだ。

今回のイースターもチリ大地震の影響で予定が狂ったことが影響してたった一日違いのタイミングでイースター島に来ることになったのだ。

先に上陸した俺がエスコートして宿探しなど手伝って、久しぶりの再会に癒された日曜日だった。


■チリ |レンタカーでイースター島一周  (3/21)

今日はレンタカーを借りて昼から島を一周ドライヴだ。
まずは国立公園に向かう。




イースター島は火山島なのでこれが噴火口だろうか。クレーター状に盆地になっている。

イースター島は英語名なので正式には現地名でラパ・ヌイが正しい。
島はラパ・ヌイ語かスペイン語通じ、英語を話せる人は多くないのだ。


海岸の下の洞窟に降りてみる。
どうってことの無い洞窟だ。

海外にごろんんと転がっている大岩を良く見るとモアイだったりするのだ。

島の真ん中あたりにあるモアイの製作所にやってきた。

加工し易い軟らかな凝灰岩を切り出して作るのだ。


↑モアイが切り出される寸前の石切り場。

彫られた輪郭がモアイの輪郭になっている。

口からモアイが飛び出ているように見えるだろうか?

全員で撮影。パノラマなので同じ人物が写っているトリック写真。


石に魚などの絵が描かれたりしている場所。


パワースポットらしい。
基本的に信じない性質だが念のために触っておくことにした。

元気玉の様にパワーが注入できたかも。

こんもりしたでっかい石が3つあるパワースポット?

謎が多い島なのだ。

ビーチ沿いにあるモアイ。


島のアチコチにあるモアイを見つつ島を一周。
小さな島なので1日で十分回れる。

■チリ |イースター島の朝陽 (3/22)

レンタカーの契約が24時間なのでみんなで朝陽を見に行く。

朝4時起きダ!真っ暗な夜道を行く。

前の日に行っている場所なので迷わなかったが真っ暗な夜道なのでいきなり行くには厳しいかもだ。

完全なる逆光、
雲がかなり分厚く多すぎて理想
的な朝陽とは行かなかった。

しかしながら、久々の早起きは気持ちが良い。

日本人が日の出好きなのか知らないが、5組着ている4組が日本人グループだった。逆光なので背後から撮ってみた。全部で15体。形が違うので作られた時代はバラバラなのだろう。

暗いときには気がつかなったが大きな岩が転がっていると思いきや実は仰向けに倒れたモアイだった。

石を載せて帽子を被ったモアイを真似るが重くて首が痛い。


そのままのノリでまたしても島を一周。





7人のモアイと7人の旅人。

朝早く行動したので十分満喫。昼からはのんびりだ。


■チリ |最後の晩餐はバーベキューで豪華料理 (3/23)

この日は特になにもせず一日のんびりして過ごす。

5日連続でトライしたサンセット(夕陽)もこの日もぱっとしない。

世界一周でも日本一周でも様々な場所でサンセットはトライしたがなかなか難しいのだ。


昼間に買っておいたマヒマヒ(バラクーダ)やマヒマヒ。

丸1匹だと多いので2ブロックづつ買う。4千円ぐらい払った気がする。

最後の晩餐なのでオーナーにも強力してもらって野外でバーベキュー!小雨が降ってきたがそんなの関係ねぇー。



刺身、煮付け、アラ汁、塩焼きなど魚を中心としたスペシャル・ウルトラ・ゴージャス・ディナーだ。
醤油と粉わさびが大活躍。

刺身はマイウーだ。みんな箸が止らず一切れも残らなかった。


■チリ |イースター島を旅立つ (3/24)

イースター島を去る前に皆で1枚。
5名がチェックアウトするので残る人には寂しくなるようだ。

ハレ・カポネに泊った5人で空港で1枚。
赤い腕輪がその証だ。
出会いとこれからのそれぞれの旅の成功を祈っる。
たった6日間でしかなかっ
た。観光だけなら2泊3日
で十分だが、命の洗濯
などゆっくりするには短す
ぎた。

今度はもっともっとゆっくり来たいなと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ハレ・カポネの客5人でサンチアゴの宿に泊る。
サンチアゴのホステルに泊ったが、震災の影響で壁にヒビがあったり、窓が割れていたり痛々しい。
それでも彼らは頼もしく、『俺たちは平気だ。元気な証拠に皆にウエルカム・ドリンクをご馳走するよ。』って一杯ご馳走してくれた。

ラテンのノリってやっぱ凄い!


■チリ |さらば、南米。そして中米へ。 (3/25)

全員それぞれの旅に戻りばらばらだ。

と言ってもミッチイ&ジュンコさんの2名とは一緒にメキシコシティにいくんだけどね。

さらば南米。また来る日まで・・・。


  


イースター島(Easter Island)はチ
リ領の太平洋上に位置する火山
島。
ポリネシア・トライアングルの東端に当たり、モアイの建つ島で有名。
首都サンティアゴから西へ3,700km、タヒチから東へ4,000kmの太平洋上に位置する。
周囲には殆ど島らしい島が存在しない絶海の孤島である。
人口約4000人。
島の全周は60kmほどで、面積は180平方kmであり、北海道利尻島とほぼ同じ大きさ。

小さな火山島。島全体が、ラパ・ヌイ国立公園としてチリ政府により国立公園に登録されている。また1995年に世界遺産に登録されている。
正式名称はパスクア島(スペイン語:Isla de Pascua)で、"Pascua"は復活祭(イースター)を意味する。
現地語名はラパ・ヌイ(ラパ・ヌイ語:Rapa Nui)。
「ラパ・ヌイ」とはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」という意味。
日本では英語名であるイースターで知られるが南米に行ってイースター・アイランドと言ってもほぼ誰も理解してくれない。

≪ 宿情報 ≫

Hare Kapone
新しく出来た日本人宿
部屋は2部屋で男女別。最大8名宿泊可能。
ドミトリー8500CLP(1615円)
※時期によって価格は変動するのでHP確認が必要。
※メールにて宿泊の予約可能。
キッチンや冷蔵庫があり。
僕が泊ったときにはWiFiは無かった。くつろげるリビングあり。


たまに野良ウマが訪れる宿

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪ 交通情報 ≫

空路/ランチリ

航空券を予約する際にはイースター・アイランドと英語名で検索しても見つからないことが多い。

スペイン語か現地語で検索しよう。
・西語・・・パスクア島(Islade Pascua)
・現地語名ラパ・ヌイ(RapaNui)

フライトはランチリ1社のみとなる。英語のHPで申し込むよりスペイン語のHPで申し込む方が安くなる。
クレジットカードはマスターが使えるがVISAが使えないと思う。
フライト数は毎日飛んでおらず、天候の影響で運行休止もあり得るので日程は余裕を持っておこう。

●レンタカー&レンタルバイク
7人乗りの車を24時間借りて1人8500CLP(1650円)でシェアした。ガス代が一人285円だったので一人約2,000円。
4人乗りの車を借りてもバイクで2人乗りしても大体1名あたり2000円はしたので人数に合わせて車種を選べば負担額は余り変わらない。
ムリに大勢集めてもそんなに安くならないってこってす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪ グルメ情報 ≫

島なのでサンチアゴと比べると色んなものが高い。
どの島も共通する送料が掛かる分物価が高い島価格ってやつだ。
ワイン、野菜、缶詰、パスタなどの麺類はサンチアゴで購入してきた方が安く付く。
但し、チリは入国の際やフライトに野菜や果物を持ち込むとうるさい。
サンチアゴ⇒イースター島はうるさくなかったが、サンチアゴに戻る便はチェックが厳しかったので注意。
町で普通にビールは買えるし単価が安い(1缶600CLP/120円)ので現地調達で良い。

チリワイン

チリワインは安くて美味いことで有名だが、日本で買うと4〜5千円するワインが1500円位で購入できる。チリワインで4〜5千円クラスだとフランスやイタリアのワインの1万円以上のクラスに匹敵する美味さなので是非お楽しみいただきたい。
フランスやイタリアより酸味が少なく深みがあるので僕はチリワインを強くオススメする。
フランスワインは数が多すぎてピンキリなので外すことが多く、高いだけじゃんで終わることが多いが、チリワインは外さないことが多いのでオススメだ!!
日本で1000円前後で飲むようなワインなら500円もしないと思うが、折角なのでいいワインを飲みたいね。
生魚が買える小さな市場

・金目鯛のセビーチェ(カルパッチョみたいなもの)
  4000CLP(760円)
カナカナ(バラクーダ)マヒマヒなどの切り身を買い、皆で連日シェア・ディナー。
刺身と塩焼き(バーベキュー)、バター炒め、煮付け、アラ汁などに変身。
最終日は10人以上の大きなバーベキューパーティーになった。
マジウマかったっす。

※日本にいるバラクーダは毒があるので余り食べれないそうだ。沖縄近辺だと食べれるバラクーダもいるそうだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

≪ 観光情報など ≫

●観光
 国立公園の入場料
 (2箇所フリー)

火山とモアイの石切り場の2箇所が行ける。
※僕が行ったときは値上げ前で5000CLP(950円)だったが、直後に2〜2.5倍くらいに値上げした記憶がある。

●ネットカフェ
 30分600CLP(114円)
町にいくつかあるネットカフェ。
島なのでネット環境は整備が整っていない。島にいくつかあるネットカフェはスピードは遅いが、安くて10分単位で利用できるところが多い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


≪ 歴史 ≫

海底火山の噴火によって大海原に突然浮かび上がった島に、最初の移民が辿り着いたのは4世紀〜5世紀頃らしい。
この移民は、遥か昔に漢民族の南下に伴ってインドシナ半島から押し出されたポリネシア人。
彼らのは酋長を中心とする部族社会をとり、酋長の権力は絶対で、厳然たる階級制度によって成り立っている。
部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者達の霊を、部族の守り神として祀る習慣があった。タヒチでは、マラエと呼ばれる祭壇が作られ、木あるいは石を素材とするシンボルが置かれた。
イースター島でも、同様に行われたのだろう。
モアイ像7世紀〜8世紀頃に、プラットホーム状に作られた石の祭壇(アフ)作りが始まり、遅くとも10世紀頃には、モアイも作られるようになった。
他のポリネシアの地域と違っていたのは、島が完全に孤立していて、外敵の脅威が全くなく、加工し易い軟らかな凝灰岩が、大量に存在していたことである。
最初は1人の酋長の下、1つの部族として結束していたが、代を重ねる毎に有力者が分家し、部族の数は増えて行った。
島の到る所に、其々の部族の集落ができ祭壇が作られた。モアイは良く「海を背に立っている」と言われている。
ただし正確には、集落を守るように立っており、海沿いに建てられたモアイは海を背に、内陸部に建てられたモアイには、海を向いているのもある。祭壇の上に建てられたモアイの中で、最大のものは高さ7,8m、重さ80tもある。島最大のアフ・トンガリキには、高さ5mを超えるモアイが15体も並んでいる。
(※これは日本企業がボランティアで立て直したものなので実際にここに15体が立っていたかどうか分からない)

デザインも時代によって変化し、第一期のモアイは、人の姿に近いもので下半身も作られている。
第二期のモアイは、下半身がなく細長い手を、お腹の辺りで組んでいる。
第三期のモアイは、頭上に赤色凝灰石で作られた、プカオ(ラパヌイ語で髭あるいは髪飾り)と呼ばれる、飾りものが乗せてある。第四期のモアイは、全体的に長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口など、この頃に作られたモアイは、最もモアイらしさが強調されるようになった。
18世紀になって西欧人が島に訪れるまで、島には鉄器や銅器は存在せず、モアイは比較的に加工し易い凝灰岩を、玄武岩や黒曜石で作った石斧で刻み、10世紀〜17世紀まで、少なくとも800年は続いた。当時、彼らの作ったモアイや墳墓、石碑など考古学上、極めて重要な遺跡が数多く残されている。

平和の中でのモアイ作りは突然終息する。モアイを作り運び、モアイを建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われる。森を失った島からは、肥えた土が海に流れ出し、土地が痩せ衰えた。そこに人口爆発が起こり、当時の島には、1万人を超える人々が暮らしていたと言われており、一説では2万人が住んでいたともされる。僅か数十年の間に、人口が4倍にも5倍にも膨れ上がり、やがて深刻な食糧不足に陥るようになり、頻繁に耕作地域や漁場を争っては、部族間に武力闘争が生じるようになる。モアイは、目に霊力(マナ)が宿ると考えられていたため、相手の部族を攻撃する場合、守り神であるモアイをうつ伏せに倒し、目の部分を粉々に破壊した。その後、モアイ倒し戦争は50年ほど続いた。森林伐採は結果として、家屋やカヌーなどのインフラ整備を不可能にし、ヨーロッパ人が到達したときは島民の生活は石器時代と殆ど変わらないものになっていた。

1722年の復活祭の夜、オランダ海軍提督のヤコブ・ロッゲフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見する。発見した日がイースターのため「イースター島」と名前が付いたと言われている。この島に上陸したロッゲフェーンは、1000体を超えるモアイと、その前で火を焚き地に頭を着けて、祈りを捧げる島人の姿を目の当たりにする。1774年には、イギリス人探検家のジェームス・クックも上陸している。クックが目にしたものは倒れ、壊されたモアイ像の数々で、島のモアイの半数ほどが、まだ直立していたと云う。そして山肌には作りかけのモアイ像が、まるで作業を急に止めてしまったかのように放置されていた。伝承では、1840年に最後のモアイが倒されたとされる。18世紀〜19世紀にかけて、ペルー政府の依頼を受けた、アイルランド人のジョセフ・バーンや、タヒチのフランス人の手によって、住民らが奴隷として連れ出された。また、外部から持ち込まれた天然痘が、猛威を振るった。その結果、島の人口は更に激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。1872年当時の島民数はわずか111人である。1888年にチリ領になり現在に至る。
inserted by FC2 system