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ヨルダン/ペトラ


★映画インディージョーンズの舞台/ペトラ遺跡

■ヨルダン |アンマンからペトラへ移動 (11/16)

アンマンを昼に出発。
相乗りになったオーストラリア人2人もペトラを目指すらしく、市街地からタクシーでバス乗場まで行く。

ぼったくりバスっぽいけどミニワゴンがペトラに行くらしいのでそれに乗って行くことにする。
車内は狭い。オージーは体がデカイというか、背が高いので首を折らないといけないし、長い足のやり場に困ってかなり辛そうだ。
ミニバンはガンガン飛ばすので景色はビュンビュン後ろに飛んでいく。これで事故ったら死ぬ確率は高いだろうな。
旅も終わるんだろうな・・・。

そうだ、中東の最大のイベントであるペトラ遺跡をまだ見て無いぞ。遣り残したことがいっぱいあるけどまずは無事ついてくれと、あわただしく駆け抜ける車窓をぼんやり眺めていると、あっという間に夕方に突入。

ペトラ遺跡の拠点となるワディ・ムーサ/Wadi Musaに到着。

トイレ休憩も無くノンストップで来てしまった。

宿を聞かれたので予約などしてなかったバレンタイン・インを相棒がドライバーに告げてくれた。近くで降ろしてくれるようだ。

オージー2人はクレオペトラという駄洒落交じりの宿に行くようだ。

再会を約束して車の中から見送った。



バレンタイン・インは坂道を上がったところにあり、町が見下ろる位置にある。

受付に行くとびっしり書き込まれた宿帳に2つだけ空きがあり泊まれることになった。危なかった。

丁度後から来た人たちは空きが無く、これから宿探しのため坂道を下っていった。間一髪セーフだった。ヤバイ!

明日のベッドは安い方が空いていたのですぐに予約。

明日は心置きなく観光するだけだ。


晩飯のバッフェは受付が終了しているので俺たちは外で外食だ。何だかアウエーな感じだ。

明日の買出しをするが全て高い。観光地価格になっている。

お前らは富士山か!離れ小島か!

貧乏旅行者はアンマンで日持ちするものを買ってくる事をお勧めします。

映画 ”インディー・ジョーンズ最後の聖戦”鑑賞

なぜ、バレンタイン・ホテルを選んだかたと言うと旅人に評判が良いことと、毎晩食後の9時ごろから映画”インディージョーンズ3作目最後の聖戦”を上映するからだ。
上映と言ってもやや大きめのテレビで観るだけだが、翌日のペトラ遺跡観光へのモチベーションをここで上げるのである。

ラストシーンでインディアナ(ハリソン・フォード)がペトラ遺跡のエル・ハズネを見下ろすのだ。これを観て明日の観光への期待を膨らませるのである。きっちり2時間一本勝負の映画を多国籍軍で鑑賞。

相棒はすっかりお眠で最初の方だけ観てベッドに戻っていった。

後で聞くと定年退職後に100カ国以上旅行に行った70歳代えのKY爺さんが部屋まで来て大声で話しかけるもんだから皆に迷惑になるので外でずっと喋っていたそうだ。

映画を観てて正解だった。名作は何度観てもオモロイですな。


■ヨルダン|世界遺産で人気の”ペトラ遺跡” (11/17)

朝の4時半から祈りの放送で起床。

寒い中、外に出てみると最悪の雨だ今日1日しか観光する時間をとっていないので強行進軍するしかないのだ。

雨が止む事を祈るしかあるまい!ふて寝の二度寝だ。
6時前に起きて受付に行くが鍵が掛かっている。
息が白く寒い。6時を少し回り、よーやく開けてくれた。

コーヒーを飲み、体を温める。朝一の客だったのか若い厨房の女の子がお変わりのコーヒーをサービスしてくれた。

送迎のミニバン(無料)でペトラ遺跡へ送ってもらう。朝2回・夕方2回の無料送迎があるのだ。
帰りは夕方まで迎えに来てくれないので出たら当分宿には戻れない。前日にパンやお菓子を買い込んだので準備万端だ。

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世界遺産”ペトラ遺跡”


ペトラは、ヨルダンにある遺跡。死海とアカバ湾の間にある渓谷に
ある。死海から約80km南に位置する。またペトラとは、ギリシャ語
で岩を意味する。

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1985年12月6日、ユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登

2007年7月、新・世界七不思議に選出。

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発掘調査
ルートヴィヒ・ブルクハルトによる紹介以降、20世紀の頭から発掘
調査が行われ始めた。2004年現在でも続いている。2000年の
調査段階でも、未だ遺跡の1%程度しか完了していないと推
定されている

入り口でチケットを購入し、ゲートで受付を済まし中に入る。

1,5qのシークSiqと呼ばれる細い道まで下りの砂利道を歩く。

馬車に乗って下ることも出来るが、どうせ乗るなら帰りに乗った方が良い。帰りは歩き回った後だけにこの1.5kmはとても長く感じ、目茶んこしんどかった。

シークSiqとは狭い岩の裂目のこと。

言葉どおり断崖絶壁の割れ目がグネグネしていて先が見えない。高さは60〜100mあるらしい。

このグネグネし砂利道がわくわく感を演出する。


難攻不落の秘密の要塞。振り
返ると来た道が見えないのだ。


道の際には岩を削って造った水路がある。先人の知恵だ。

よーやくちらっと見えてきた。チラ見は男のロマンを感じるが、ここでは男女関係無くチラチラ見えるエル・ハズネにドキドキすることでしょう。

エル・ハズネ


エル・ハズネの中から見た外

エル・ハズネは崖を削り、くり貫き、彫りぬいた神殿風正面をもつ霊廟。
幅約30m、高さ約43m。
紀元前1世紀〜後2世紀のもの。
映画”インディージョーンズ3作目最後の聖戦”の舞台ともなった。




横から見るとより立体的


見上げるともっと立体的

カラフルな岩肌の考古博物館の壁

巨大な岩窟墓が並ぶ”王家の墓”


このポイントがインディアナ扮するハリソン・フォードが立ってた場所だ。かなりの高度でしょ?


来るには30分以上山道を上ってくる。王家の墓を越えてその上を歩いてくる。半円を描くように王家の墓の上を迂回するような感じである行くので大半の人はここには行かない。この日もすれ違ったのは2組のみ。

最後は5分ほどの下りだが、最後の最後は崖から落ちないようにご注意あれ!相棒は危ないと言って遠くから撮影してくれて来なかった。


最も遠くに来たら一瞬だけ晴れてくれた。

エド・ディル

レストラン前の道を1時間登ると、エド・ディルEd Deir(修道院跡Monastery)に到着。
高さ45m、幅50m。エル・ハズネより一回り大きい。
1世紀の中頃に建造されたナバタイ人の神殿。



エド・ディルの正面の丘を上がるとワディ・ムーサの村、アラバ渓谷Wadi Araba、ジャバル・ハルーンJabal Harounなどが一望できる。

周囲の岩肌はカラフルな縞模様


戻る途中にライオン・モニュメントを探すが見つけられない。全体的に土色でわkりづらいので見つけられない。こういう岩を見つけたのでこれがライオンだと決め付け捜索は強制終了。
適当に西側の高台に
上がり色々物色。
住居跡のようなところ
がいくつかある。
壁の年輪を感じせる
縞模様の地層が奇
麗だ。


かなり疲れました。早い方の送迎車に乗り宿に戻ったが最後の上り坂が辛かった。1.5kmだが、行きは元気で下り、帰りは疲れて登りだ。倍ほど疲れるのだ。馬車で帰るのも良いかもしれない。ただ、ガイドブックによれば、エル・ハズネからゲートまで20分で20ディナール。チップが別途US10ドルだってさ。

高いので人数割できれば安くなりますね。
4人乗りが出来ればありでしょうね。

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寒い中、水に近いシャワーを浴びる。この宿唯一の不満な点だ。

宿のバッフェ。豪華絢爛。30品くらいあったんじゃないだろうか?

食後の映画は”インディ・ジョーンズ最後の聖戦”ではなく、”時計仕掛けのオレンジ”だった。かなり古い変わった映画だ。2回観たが内容はあまり覚えていない。

天候には恵まれなかったが、いい一日だった。




  
ヨルダン・ハシミテ王国は、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家。首都はアンマン。
イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境である。

国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。


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≪ 宿情報 ≫

Valentain Hotel
・初日のドミトリー:
 5ディナール/650円
・2日目のドミトリー:
 3ディナール/390円

お薦め宿です。間違いない!
宿のバッフェうまし!


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≪ 交通情報 ≫

ヨルダン〜ペトラ
所要5時間
5−6.5ディナール。
宿バレンタイン・インで申し込めば5ディナールと安かった。

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≪ 観光情報 ≫


ペトラ遺跡
・1日券21ディナール
・2日券26ディナール


一日しか使わないが2日券を購入。2日目は後から来るアジア人に13ディナールで買ってもらった。遺跡の入場に名前を書いたりするからアジア人でないとばれると思ったのだ。丁度日本人が居たので買ってもらった。
相棒は売る人がおらず、13ディナールは山分けした。

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≪ グルメ情報 ≫

外で食うとどこも高い。
観光地化されてしまっているのでヨルダンと比べて破格値だ。
町のレストランのバッフェ。
5ディナールを3.5に割引してもらった。余り美味くない!

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バレンタインホテルのバッフェが安くて美味い!
4ディナール/520円
※バッフェ希望の場合は朝言っておかないと行けない。
※ペトラ遺跡に行くときのランチボックスをお願いすることも出来る。

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≪ 観光情報 ≫


ペトラ遺跡の歴史
紀元前1200年頃から、エドム人たちがペトラ付近に居住していたと考えられている。エドム人たちの詳細は不明である。

立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、エドム人達を南へ追いやったナバテア人達が居住しはじめる。ナバテア人はアラビア付近の貿易を独占。それにともないペトラも古代ナバテア人の有力都市として栄えた。

紀元前64年から紀元前63年ごろ、ナバテア人はローマの将軍、ポンペイウスにより、その支配下におかれる。ローマは、ナバテアの自治は認めたものの、税を課した。また砂漠から進入してくる異民族の緩衝地帯とした。また、ローマ風の建築物の造営がこのころ始まった。

106年には、ローマ皇帝トラヤヌスによりペトラとナバテア人はローマのアラビア属州として完全に組込まれる。

1812年、スイス人の探検家、ルートヴィヒ・ブルクハルトが、十字軍以降、最初にヨーロッパへ紹介した。
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